仙台高等裁判所 昭和34年(ラ)40号 決定 1959年10月22日
抗告人 加藤勇一郎(仮名)
相手方 加藤この(仮名)
主文
本件抗告を棄却する。
理由
抗告人の抗告理由は、別紙理由記載のとおりである。
登記簿謄本によると、抗告人の現有財産である原審判書添付不動産目録中、家屋を除くその他の不動産は、いずれも抗告人主張のとおり、抗告人が養父仙太郎の家督相続により所有権を取得したものでないことが推測できる。しかし、離婚による財産分与を定めるには、当事者双方が協力によつて得た財産その他一切の事情を考慮すべきものであるから、抗告人が現在所有する財産も右考慮の対象となるものである。それのみでなく、登記簿謄本、青森家庭裁判所調査官戸館長逸の昭和三三年一〇月三一日付、同年一一月一二日付、昭和三四年四月四日付、同年五月二八日付各調査報告書および黒石市農業委員会長工藤角五郎の農地に関する回答によると、右不動産のうち、畑一筆、原野二筆は、もともと抗告人の養父仙太郎が他の部落民と共有していた土地の一部で、抗告人が家督相続によりその持分を取得したものであるところ、共有者間で分割の方法として、自作農創設特別措置法または農地法による政府買収、売渡の形式をとり、抗告人に売渡になつたものであることが認められ、相続財産と同一にみるべきものである。結局抗告人の現有不動産は、宅地二筆を除き、全部養父仙太郎の相続財産またはこれと同視すべきものであり、前記調査官戸館長逸の昭和三三年一〇月三一日付調査報告書によれば、抗告人は前記不動産のほか、養父仙太郎所有の黒石市大字牡丹平字牡丹平○○番地宅地二六坪五合を相続したけれども、これを他に売却した事実も認められる。以上の事実に、相手方は抗告人の養父仙太郎の長女であり、抗告人は右仙太郎および相手方と婿養子縁組婚姻をしたものである事実その他原審認定の諸事情をあわせ考えると、原審の定めた財産分与の金額およびその支払方法は違法、不当とはいえない。
抗告人は、原審判書添付不動産目録記載の家屋は、抗告人が費用を出して建築したものであると主張し、また相手方が財産分与請求権を放棄したとも主張するけれども、これを認めるに十分な資料はない。
よつて原審判は相当であるから、本件抗告を棄却すべきものとし、家事審判法第七条、非訟事件手続法第二五条、民事訴訟法第四一四条、第三八四条、により主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 斎藤規矩三 裁判官 石井義彦 裁判官 佐藤幸太郎)
(別紙) 抗告理由
一、審判の理由にある加藤このが昭和二十二年五月頃樺太より引き揚げる事が出来なかつたとあるも、事実は、加藤このが当時より以前から朝鮮人李大正と関係し、その為に当時夫であつた加藤勇一郎と同時に引き揚げなかつたからである。
加藤勇一郎が、いくら説得しても、言を左右にして夫と同一行動をとらなかつたのである。ソヴエイトの病院の助産婦の助中と引き揚げとは何等関係の無い事は、数名の証人調べをしてもらつてもよい事である、故に、加藤このは、当時家付娘である権利と財産の請求権を、ほうきしたものと見なすべきである。
二、次ぎに財産の事であるが、別紙第一表記載の不動産全部が、家付の財産では無いと言う事である、その内容に付いて説明する。昭和二年二月○○日婿養子に来た当時は亡加藤仙太郎家は全く無財産の状態であつたのである、牡丹平の部落より離れてある坂の下に堀立小屋借子等に依る収入によつて細々と暮したのである。昭和十五年頃、加藤勇一郎の使用主である村の人より現在の青森県黒石市大字牡丹平字牡丹平○○番地の二
一、宅地 百坪
同市大字牡丹平字牡丹平○○番地の三
一、宅地 五坪
の土地を借用して、現在の家を建てたのである
そして右宅地を昭和三十年加藤勇一郎が、所有主より買い求め加藤勇一郎に登記したのである故に右宅地は相続した財産では無いのである。
又建物も加藤勇一郎の賃銭を貯金して現在の家を建てたのであるが、名儀を亡養父加藤仙太郎にしたに過ぎないのである。
別紙第二表記載の土地も家督相続によつて亡養父の地位を承継した結果とあるもこれを事実と全く反するものである。
右土地は、牡丹平部落に十年以上住居を有した人に総べて、配分したのであり、全く加藤勇一郎個人に対して配分された土地である。
(右の事は実際的に此の事を配分された同部落佐原一夫氏の説明による)故に加藤勇一郎は亡加藤仙太郎との事は右土地に対し無関係)又黒石市大字牡丹平大沢○番地の○○
一、畑二反五歩も、亡加藤仙太郎の財産で無く部落の共有財産であつたものを耕作者である加藤勇一郎に農地法の定める所により牡丹平部落で売渡したのである。(当時亡加藤仙太郎は死亡しあり且耕作者では無かつた)
以上の如く此の審判の内容に於いては重大なる事実の違いがある。別紙の不動産は事実亡加藤仙太郎より加藤勇一郎が相続した財産では無いのである。